
予告を観たときは「これはB級案件かな…?」と思ったのですが(・ω・)…いざ本編が始まると、予想外のドラマ性と、恐怖演出に開始10分で鳥肌が…。まさにJホラーとハリウッドホラーをミックスしたような想定外の良作に驚き。……ただ、そろそろ終わりかな?と思ったところから、さらにもうひと展開…まさかの“お焚き上げ後が”本番ラウンド。それでも「予告にだまされたけど…ありがとう」と言いたくなる一作でした。その理由を、じっくり語っていきます。
作品データ
【製作年度】2025年
【製作国】日本
【上映時間】110分
【監督】矢口史靖
【キャスト】長澤まさみ、瀬戸康史 ほか
【鑑賞方法】6月13日(金)より公開中
あらすじ
5歳の娘・芽衣を事故で亡くした鈴木佳恵と看護師の夫・忠彦。悲しみに暮れる日々を過ごしていた佳恵は、骨董市で芽衣に似たかわいらしい人形を見つけて購入し、我が子のように愛情を注ぐことで元気を取り戻していく。しかし佳恵と忠彦の間に新たな娘・真衣が生まれると、2人は人形に見向きもしなくなる。やがて、5歳に成長した真衣が人形と遊びはじめると、一家に奇妙な出来事が次々と起こるように。人形を手放そうとしたものの、捨てても供養に出してもなぜか戻ってきてしまう。佳恵と忠彦は専門家の助けを借りながら、人形に隠された秘密を解き明かしていくが……。(映画.comより)
年齢制限は?
年齢制限はないので、どなたもご覧になれます。
レビュー ( 2025・06・14 )
1、予想外に作り込まれた人形ホラー
予告はチープでB級臭プンプン…
『…へぇ、長澤まさみのホラーかぁ』ホラー好きとしてはもちろんチェックしていたのですが、本作の予告を初めて観たときは正直「これは期待薄かも…」と。
なんだか仰々しいBGMに、良くも悪くも人形ホラーらしい分かりやすいシーンの連続。キャッチコピーは「この家の人形、なんか変。」──あまりにも直球すぎる宣伝の仕方に、B級ホラー臭がプンプンと漂って。
ですが、本編が始まって早々、その印象は覆されました。なぜ、あんな予告にしたのでしょう…?まったく、怖そうではなかったんですが…あれはあえて?
序盤は骨太なドラマ
洗濯機の閉じ込めという、日常に潜む事故により愛娘・芽衣を亡くす冒頭…。
直接的な描写こそ映さないものの、”それ”を発見した母親の狂気の悲鳴と、バックに鳴り響く恐ろしい不協和音に『…あ、これ想像以上に怖いかも…』と鳥肌の立ったオープニング。
悲しみに暮れる母親・佳恵(長澤まさみ)の描写は驚くほど丁寧で、冒頭から重いドラマ性に引き込まれていきます。
そして、「ただただ呪われた人形が人を襲う」系のホラーではなく「心の拠りどころが呪いへと変貌していく」情念型ホラー。
“怖さ”と“喪失の痛み”が地続きで描かれており、予告編では到底想像できなかった“深さ”がある作品でした。
”4.1”の高評価もダテじゃない!?
驚いたのは、公開2日後にしてFilmarksではなんと★4.1という高評価!(※執筆時点)。
言っちゃなんですが、長澤まさみ、瀬戸康史といったメジャー俳優が出演するホラー作品で、この数字は異例中の異例ですよね…。
“ホラーといえば低評価がデフォ”という傾向すらある中で、ここまでの高評価がついているのは、それだけ本作が“見た目に騙されるな”系の良作だった証と言えるかと。
ただ驚かせるだけのホラーではなく、なぜその人形が呪われたのか、誰が何を願ったのか、というバックボーンの積み重ねが物語として成立していたことが、多くの観客の支持につながったのではないかと思います。
2、愛されたくて、呪いました
まさかの真相にギョッとする
本作の魅力は、ただ「呪われた人形が不気味で怖い」というだけのホラーにとどまらないところ。
人形の名前は”アヤ”。昭和7年に制作されたもので、髪や爪が伸びるという怪異が起こりますが、それにもちゃんとした理由があります。(髪は聞いたことあるけど、爪は生々しくて怖かった…(;ω;))
物語が進むにつれて、アヤ人形には人骨が入っており、それが礼(アヤ)という少女本体だった(!)という事実が明かされます。
その背景には、母・妙子からの虐待や無理心中、そして“娘の死”を受け入れられなかった父の執着という、重い背景が。そんな過去が、のちに呪いへとつながっていったのです。
ただ見た目が怖いとか、適当に呪われているわけではなく、その人形が“なぜそうなったのか”という背景がしっかり描かれているからこそ、作品にリアリティと重みが生まれていました。
“愛されたかった子供”の物語

アヤ人形がもたらす現象は、確かに恐ろしく描かれていますが、そこにあるのはただの怨念ではなく、「愛されたかった」という子供の気持ち。
我が子を亡くし、精神のバランスを崩した佳恵が、アヤ人形に芽衣の面影を重ねて愛情を注いだこと。それがアヤにとっては、初めて“母に抱きしめてもらえた”ような体験だったのかもしれません。
しかし、その愛も長くは続きません。真衣という“本当の娘”が生まれたことで、アヤはまたしても“捨てられる存在”になってしまいます。
だからこそ、アヤの中にある「もっとそばにいたい」「今度こそ私を捨てないで」という想いが、恐ろしい現象へと変貌していった。
恐怖描写の裏に、「報われなかった存在の哀しみ」がにじんでいる──そこが本作を“ただのホラー”で終わらせない、大きな魅力だと感じました。
ここはなんだか『トイ・ストーリー』の”ロッツォ”に通ずるものを思い起こさせ…。
3、「わたしが娘になってあげる…」
本作の後半は、単なる“人形ホラー”という枠を超えて、母をめぐる静かな“ポジション争い”の物語になっていきます。
アヤ人形が現れる場所や行動は、いずれも“母親のそばにいたい子ども”のようでありながら、確実に“真衣”のポジションを奪っていくもの。
芽衣と映った家族写真が切り刻まれる。
また、真衣の描く絵や行動にも異変が見え始める。
母の注意を引くように動く行動──それは恐怖演出であると同時に、「母の隣にいたい」という本能的な願望の表れだったように感じました。
なかでも、深夜、佳恵と忠彦のベッドに“真衣”が入り込んでくるシーン。「一緒に寝たい」という気持ちは、子どもなら当然の感情。
が、佳恵が手を伸ばすと、そこにいたのは”アヤ人形”だった。Jホラーの定番演出とも言えるシーンですが、本作ではそれが母を奪おうとする行動の一環として描かれていたのが印象的でした。
4、怖がらせ方、わかってます
見せないのに怖い“匂わせ型ホラー”

本作が特に印象的だったのは、“怖がらせ方のセンス”の良さです。
洗濯機から”真衣”が飛び出してくるようなジャンプスケアももちろんあるのですが、私が本作で上手いなと思ったのは、そうした予期できるものよりも。
「そこにいるかも…?」という空気を匂わせる、間接的な恐怖演出が多用されていたこと。
たとえば、
・シーツの中に”何か”がいる気配
・人形と娘が何かを話している音声だけが聞こえる
・監視カメラの映像に映り込む不可解な姿
といった、人形を直接的には“見せない”けれど不安だけを植え付けてくるような演出。
また、祖母(風吹ジュン)が真衣を預かっている際に「(…え、これ確実に人形が歩いてきてるよね!?)」という足音に見せかけて、お掃除ロボットがドアにぶつかっていたフェイク演出も上手い。人形の演出だけに頼らない、でも実際にこれならあり得るであろうギリギリを攻める…笑。
これはまさにJホラーの得意分野であり、“見えない”からこそ想像力で怖くなるタイプの恐怖がしっかり活きていました。
Jホラーとハリウッド式の絶妙ハイブリッド
さらに面白かったのは、その恐怖演出がJホラーのみならず、ハリウッドホラーの様相も見せたこと。
たとえば、ストロボの点滅を使った“ポージング恐怖”のシーン──佳恵が部屋でカメラのフラッシュを炊くたびに、アヤ人形が近づいてくる。ただ近づくだけでなく、毎回絶妙な“恐ろしいポーズを見せる”というポーズ七変化(ここもめっちゃ身構えました)
これは完全にハリウッド系ホラーのテンポやビジュアルショックの取り入れ方でありながら、和室という場所や”お祓い”という儀式にしっかりと和風ホラーも感じられる。
まさに、“Jホラーとハリウッドのいいとこ取り”。
それでいて決してパロディに堕さない真面目さがあり、観客をちゃんと怖がらせてくれるのが素晴らしかったです。
人形の表情が変わる恐怖、そして…

さらにゾクッとしたのは、人形の表情が写真などを通して“劇的に変わっていく”描写。これがまた「…アンタ誰!?」レベルに躍動感あふれる歪み方をしていて、ギョッとしました!これまでに見てきた人形ホラーでも、あまり見たことのない演出。
しかもそれがただの視覚トリックではなく、“アヤの怨念が蓄積されていく感情の変化”として機能しているからこそ、怖さだけでなくストーリー的な意味も伴っているのです。
そして極めつけはやはり「人形に人骨が入っていた」という事実。
これに関しては正直「やりすぎでは?」と思ってもおかしくないレベルなのですが、逆にそれが日本的な因習ホラーっぽさを演出していて、私は嫌いではありませんでした(・ω・)
『蝋人形の館』などは、まんま生きている人間を人形にするというホラーでしたが、日本のホラーってなんかこう、ネタでは済まされない?妙なリアリティがあるというか。
最初レントゲンで見たときには、人形に魂が宿りすぎてとうとう人間の骨まで生成されたのだと思いましたし(え)。
5、ラストで幸せになったのは誰?
お焚き上げで”終わり”だと思ったら…

本作が中盤までテンポよく進み、恐怖と謎解きをバランス良く織り交ぜながら盛り上がっていっただけに、お焚き上げの儀式が終わった瞬間、こう思ってしまったんですよね──
「…あれ?まだ続くの?」
実際、物語的にもお焚き上げはひとつの大きな区切りに見えますし、そこまでで描かれた恐怖描写・母娘の感情劇もすでに“満腹感”があるレベルでした。
いや、おそらくあの住職がお焚き上げしていないだろうこともわかってはいたんですけどね…。
ですが、ここからの展開が予想以上に長く、もう少しコンパクトな見せ方はなかったのかな…と感じてしまったのも事実で…。
「お焚き上げ失敗パートでバッドエンドでも良かったのでは?」と感じてしまうほど、夫婦が再び動き出してからの“人形の正体探し”と“供養の旅”は、終盤の尺としてはやや過剰に思える部分がありました。
「まだあるの?」その先の真相が地獄だった
とはいえ、この“終わったと思わせてまだ終わらない”構造には、ちゃんと意味がありました。
それは、アヤという存在の本当の正体──
「なぜこの人形は呪われ、誰が何を願っていたのか?」という物語の根幹に、ここでようやく辿り着くからです。
最初に人形を大切にしていた妙子の狂気。
そして、アヤが“死んだ娘の骨から作られた”というショッキングな真実。
さらに、アヤが母親に愛されたかっただけではなく、実は母親から虐待を受けていたという因縁のねじれ。
これらが明かされるのは、まさにお焚き上げ(失敗)後のパートなのです。
物語としてはここでようやく完成するわけで、ボリュームたっぷりな終盤にもちゃんと意義のあるものだったのだと納得できるのですが…。
“入れ替わりオチ”で終わるバッドエンド
最後に描かれるのは、“真衣がアヤにすり替わっていた”という衝撃の結末。ベビーカーに乗っていたのは、真衣ではなくアヤ人形。
一方、車内から手を振っていた“本当の真衣”は、家族に気づいてもらえず、まるで置き去りにされるかのようなラストシーン…結末としてはまさかのバッドエンド。
母に愛されたいという歪んだ思いにより、“幸せな結末”を迎えたのはアヤだった。
人形が”◯◯の霊”なら納得できた…?
実は私、物語の冒頭の方では、人形の中にいるのはてっきり「亡くなった芽衣の霊」だと思っていたんです。
だって、かつて愛された自分が“忘れられた存在”となり、家族が新しい娘と幸せになっていたら──ちょっとくらい呪っても、おかしくない気がしません?(…ひねくれすぎ(・ω・)?)
もしこれが“芽衣の霊”が人形に宿って戻ってきた物語だったなら、まだ「実子だったし、ギリ許せる」という感覚もあったかもしれません。
でもまさかの、“全く別の女の子の霊”にすり替えられましたオチ。そうなるとこれはもう、佳恵も忠彦も家族ごと乗っ取られているという、笑えない地獄。
バッドエンドは嫌いではないのですが──
あのボリューム満点の終盤を乗り越えた私からすると、「ここはもうハッピーエンドでいいよ」と思ってしまうような、少しだけ理不尽を呪いたくなったラストでした。笑
こちらも一筋縄では行かない!?想像を覆す話題のJホラー!
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