
キャラクターたちの良さがいまひとつ伝わらず、「これ、誰の何を見せたい話なんだろう?」と感じた5作目。内気なボニーに「同じタイプの友達をあてがえば大丈夫」という着地は少し浅く、成長も物足りず…。「デジタルは悪くない」と描く一方で、デジタルでつながった子たちは悪者のような印象のまま、歩み寄りが描かれなかった点も気になりました。
作品データ
【製作年度】2026年
【製作国】アメリカ
【上映時間】102分
【監督】アンドリュー・スタントン
【声のキャスト】トム・ハンクス
ティム・アレン ほか
あらすじ
デジタル全盛の時代。おもちゃで遊ぶことが大好きなボニーは、周囲との価値観の違いに戸惑い始める。ジェシーたちは、そんな彼女の笑顔を取り戻そうと奮闘するが…。
年齢制限は?
どなたもご覧になれます。
どこで見れる?
7月3日(金)より劇場公開中。
(※鑑賞時にご確認ください)
レビュー【ネタバレ・考察】
1、シリーズ5作目の限界?
正直に言うと…。
まさか『トイ・ストーリー』で寝落ちする日が来るとは思いませんでした(・ω・)
もちろん、これだけ長く続いているシリーズなので、毎回『トイ・ストーリー 3』級の感動を期待するのは酷かもしれません。
私はシリーズ信者というほどではないものの、大好きな作品ですし、やっぱり『トイ・ストーリー』には「なんだかんだ最後は心を持っていかれるでしょ?」みたいな信頼があるんですよね。
でも今回は、その“トイ・ストーリーらしさ”が最も薄く感じました…。
おもちゃたちがワチャワチャ動いているのに、なぜかキャラクターの良さがあまり出てこない。ボニーの物語でもあり、ジェシーたちの物語でもあるはずなのに、どちらにも強い見せ場がない。
気づけば「これ、誰の何を見せたい話なんだろう?」という感覚になっていました。
トイ・ストーリーって、本来はおもちゃたちの関係性や、持ち主との距離感だけで泣かせてくるシリーズだったと思うんです。
でも今回は、キャラクターが自分の意思で動いているというより、脚本に沿って配置されているように見えてしまいました。
無理やり引き延ばしたスピンオフ感
1番感じたのは、「無理やり捻り出して、引き伸ばして1本の映画にしました!」というスピンオフ感。…というのも、ストーリー展開のひとつひとつが妙に人工的なんですよね。
「ここで観客にこう思わせたいんだろうな」「ここでちょっと切ない感じにしたいんだろうな」「ここで現代っぽい問題を入れたかったんだろうな」…
みたいな、作り手側の意図がチラチラ見えてしまうと、どうしても感情が乗りづらい。
ボニーとブレイズの友情だけを見れば、普通にいい話です。そこだけなら微笑ましいし、孤独な子が似た感性の友達と出会う物語として成立していたと思います。
でも、これが『トイ・ストーリー 5』として出てくると、どうしても物足りない…。シリーズ本編としての重みや必然性よりも、「とりあえず今っぽいテーマを入れて続編にしました」感の方が強く残ってしまいました。
その結果、見終わった後に残ったのは感動というより、「これ、本当に5として必要だった?」という寂しさでした(・ω・)
2、キャラの良さが出ていない問題
今回いちばん物足りなかったのは、ボニーもおもちゃたちも、キャラクターとして輝いて見えなかったところ…。
ボニーは物語の中心にいるはずなのに、彼女自身の気持ちや孤独がそこまで深く描かれるわけではなく、どちらかというと「おもちゃを大切にする少し変わった子」という設定のために置かれている印象でした。
デジタル全盛の時代に、おもちゃで遊ぶ子が浮いてしまうという設定はわかりますが、その寂しさや居場所のなさを描くなら、もう少しボニー本人の感情に踏み込んでほしかったです。
ジェシーの行動がやや強引に見える
本作で特に気になったのが、ジェシーの行動。
ボニーと似たタイプのブレイズを見つけて、「この2人は絶対に合うはず!」と友達にさせようとする流れ自体は、善意としてはわかります。
ただ、大人目線で見るとかなり強引にも見えるんですよね。しかも、そのためにデジタルを使って2人を引き合わせるというのが、また妙に引っかかる…。
作品全体では「デジタルも使い方次第」という方向に持っていきたいのだと思いますが、ここでやっていることは、ある意味では善意のマッチング。
「この子には、この子と同じタイプの友達をあてがえば大丈夫」という着地に見えてしまうと、友情の話としては少し浅いし、何よりボニー自身の努力による成長を見ることができない…。
たまたま同じような感性を持つブレイズが現れたからボニーは救われましたが、裏を返すと、「同じタイプの相手が見つからない子はどうなるの?」とも(・ω・)
3、デジタルを使う子は、悪者?
今回の大きなテーマとして、「デジタル時代におもちゃはどう存在するのか」という問題があります。このテーマ自体は、現代の『トイ・ストーリー』としてかなり面白いと思います。
子どもたちの遊び方が変わり、タブレットやゲームが当たり前になった中で、おもちゃたちはどう向き合っていくのか。ここを丁寧に描けば、かなり刺さる話になったはずです。
ただ、実際には描き方が少しちぐはぐに感じました。
ジェシーたちは最終的に、「デジタルも使い方次第だよね」という方向で和解し、新しい時代の遊び方を受け入れる。ここだけ見れば、納得できる着地です。
でも一方で、ボニーの周りにいるデジタルを使う子たちは、チャットでいじめのようなことをする存在として描かれます。
つまり、作品としては「デジタルは悪くない」と言いながら、実際にデジタルを使っている子どもたちはかなり悪者っぽく描かれている…ここがどうにも引っかかりました(・ω・)
4、こんなディズニーは見たくない
ボニーがチャット仲間におもちゃを見せたとき、あからさまに怪訝な顔をします。今どきの子どもの遊び事情はよく分かりませんが、おもちゃで遊ぶことって、そこまでのリアクションをとられるようなことなの?
ここは、「この子たち嫌な子どもだなぁ」というより、安易な描き方をするディズニーに対してなんだかショックでした。
デジタルで遊ぶ子たちは、チャットでボニーを傷つける存在であり、おもちゃ遊びを理解しない存在。要するに、今回のヴィランはこの子たちなんだな、と。
「合わない子」はそのまま放置?
ジェシーたちがリリーパッドと和解したのなら、デジタルを使ってボニーを傷つけた子たちとも、どこかで折り合いをつける流れがあってもよかったのでは?
たとえば、ボニーのおもちゃ遊びを彼女たちが少し理解するとか、チャットで傷つけたことに何かしら小さな気づきがあるとか。
デジタルで遊ぶ子も、おもちゃで遊ぶ子も、どちらも否定しない。そういう広がりがあれば、もっと納得できたと思います。
結果として、ボニーと合わない子たちは合わないまま終わってしまう…これだと、デジタルとの共存を描いているようで、子ども同士の価値観の違いは放置のまま。
このシリーズって、もともとは「最初は合わなかった相手と、どう関係を作るか」の物語でもあったはずなんですよね。ウッディとバズなんて、まさにその代表。
だからこそ次は、「合う子を見つけたから大丈夫」だけではなく、ボニーの世界そのものがもう少し広がるような物語を見たいです(・ω・)
ちなみに、次回作となる『トイ・ストーリー 6』でボニーの物語は完結すると言われています。今回、ボニーの成長がそこまで描かれていなかったのは、完結編で回収されるから?なのかもしれませんね。


