
「歩き続けないと即アウト」という超キャッチーな設定。これは極限デスゲームきたか!?と期待して劇場へ向かったのですが、実際に待っていたのは想像以上の”徒歩会話劇”。「ずっと歩いてるな…」な1本でした(・ω・)私が見たかったのはこれだったのか?ということで、今回はかなり本音寄りに感想を語っていきます。
作品データ
【製作年度】2025年
【製作国】アメリカ
【上映時間】108分
【監督】フランシス・ローレンス
【キャスト】クーパー・ホフマン
デヴィッド・ジョンソン ほか
あらすじ
近未来の軍事国家。若者たちは、歩き続けなければ即アウトという過酷な競技「ロングウォーク」に参加し、最後のひとりを目指して歩き続ける。
年齢制限は?
R15指定なので、15歳以下の方はご覧になれません。
どこで見れる?
6月26日(金)より劇場公開中。
(※鑑賞時にご確認ください)
レビュー【ネタバレあり】
1、期待大!でも中身は徒歩会話劇
本作は、スティーヴン・キング原作の小説『死のロングウォーク』の初映画化作品。過去にも映画化の話はありながら実現しなかったようですが、観終わってみるとその理由も少し分かる気がしました…。
というのも、本作は設定だけ聞くとかなり面白そうです(!)若者たちがひたすら歩き続け、速度を落としたり止まったりすれば即アウト。
しかも最後のひとりになるまで終わらないという、いかにも極限サバイバル × デスゲーム × 心理戦を期待してしまう内容。
ただ、実際に観てみると、これが思っていた以上に“ただ歩いているだけの会話劇”でした。
原作は未読ですが、原作の時点で攻略型のゲームではなく、彼らの友情ドラマメインなのだろうとは思います。ただ、さすがにそれだけで映画1本は持たず…。
歩く、喋る、歩く、喋る、たまに脱落する…。基本的にはその繰り返し。
「たまたま死者が出る遠足」なノリ
また、ドラマとしても浅く感じたことの1つに、人が減っていくのに、物語が進んでいる感覚が薄いところにもあります。
普通のデスゲームなら、誰かが裏切ったり、誰かが反撃したりと、そういう動きがあるので観続けられます。
でも本作の場合、そういったことは一切ないので、ドラマとしての厚みを持たせることが重要だと思うのですが。そもそもの作品の空気感が「たまたま死者が出る遠足」くらいのノリなんです。
これから自分が死ぬかもしれないという究極の状況下なのに、緊迫感がほぼありません。1人目の死者が出ても、しばらくすると向き直り「…でな?」と世間話。いや、次は「自分」かもしれないんですけど…(・ω・)!?この謎テイストが、世界観に浸れない要因でもありました。
2、なぜ参加?共感しづらい若者たち
勝者には高額賞金と“ひとつの願い”が与えられるため、参加者たちの多くはほぼ金目的、あるいは人生逆転狙いだったと思います。
しかし、途中から出場者たちが「こんなはずじゃなかった」「やめたい」「俺たちは何をしているんだ」みたいになってくると、思ってしまうんですよね。
いや、最初からルール聞いてたよね…(・ω・)と。しかも、これが初開催でもない。
『バトル・ロワイアル』のように、完全に巻き込まれたなら被害者として見られますが、本作は最終的には自らの意思で参加しているので、途中で後悔されても「なんなのコイツら…」と冷めてしまう。
命を賭ける理由が弱い
命を賭けてまで参加する理由も、なんだかぼんやり…。
社会がどうなっていて、参加者たちがどれほど追い詰められていて、勝者になることにどれほどの意味があるのかー。そこにもっと説得力があれば、悲劇として受け止められたかもしれないのですが。
本作では、ゲームの目的も曖昧、国家の意図も曖昧、参加者の覚悟も曖昧…。その一方で、暴力描写だけはやたら頑張っています。
また、「なぜこのゲームが成立しているのか」「社会がなぜ熱狂しているのか」も見えにくい。たま〜に映る、申し訳程度のギャラリーも、意味があるのか、ないのか…。
結果的に、出場者たちの悲劇に感情移入する前に、「なぜ参加したの?」という疑問が残ってしまいました。ここがもう少し強ければ、ただ歩いているだけでももっと重みが出た気がします。
3、カタルシスなき脱落とグロ描写
”脱落”は基本的に受け身。ただ疲れて、限界が来て、撃たれる。それだけ…。
もちろん、そこにこの作品の残酷さがあり、若者たちが消耗品のように処理されていく理不尽さを見せたいのも分かるのですが。
でも観客としては、誰かが脱落するたびに「うわ!」ではなく、だんだん「またか……」になっていく。
しかも、彼らは何の罪もない青年たち。悪人が罰されるわけでもないし、観客が「よし!」と思える瞬間もありません。
そのため、暴力描写が痛快さにも、復讐の快感にも、カタルシスにもならない。あるのは理不尽と消耗だけというのも、ドラマとしては盛り上がりづらい…。
ゴア描写は必要だったのか
さらに気になったのが、脱落時の描写の生々しさ。
至近距離で頭を撃ち抜かれ、顔に穴が空き、肉片が飛び散る。また、これもあえてなのか、汚物描写も多いです(むしろこちらがキツい)。
ただ正直、ここまで見せる必要あるのか?と。
しかも、個人的には彼らに対してそこまで深く感情移入できているわけでもないので、人物描写が浅いまま、直接的なゴア描写(や、汚物描写)だけを見せられるような感覚に。
残酷さは伝わっても、それが面白さや深みに変わっていたかというと、そこは微妙でした。
4、主人公に惹かれない問題
これに関しては、完全に私個人の主観と言っておきますが…。なぜか序盤からずっと、「え、この人が主人公なの?」という感覚がありました。
見た目がどうとかの話ではありません。画面にいるだけで「この人、何か抱えていそうだな…」と思わせる俳優はいます。
「普通の青年」でも、違和感や影のようなものが欲しい。でもレイには、その奥に何もなさそうなのです(・ω・)なので終始、主人公代理のような感覚がつきまとい…。
主人公っぽくない主人公を狙った結果、本当にただ「主人公っぽくないまま終わってしまった」印象。彼の演技がどうこうではなく、主人公である”レイ”のキャラクターに合っていなかったのかもしれません。
ただラストで、このキャラ設定がまさかの伏線だったのか?というような展開も…(5章で述べてます)。
主人公は、あの名優の息子だった!

主人公レイを演じている、クーパー・ホフマン。
後で知って驚いたのですが、名優フィリップ・シーモア・ホフマンの息子なんですね!正直あまり似ている印象はなかったので、ビックリしました…。
ポール・トーマス・アンダーソン監督作『リコリス・ピザ』で主演を務めた俳優でもありますが、私は未見だったため、本作で初めてしっかり観た形になりました。
チャーリー・プラマーの存在感
そんな中で個人的な救いは、好きな俳優であるチャーリー・プラマーの登場。事前に出ていることをまったく知らなかったので、そこだけはかなりテンションが上がりました。
ただし役どころはゲイリーという、メンバーの名前をからかい死に追いやった、まさかのメンヘラクズ枠(笑)。いや、そこかい、という感じでしたが。
でも、やっぱり演技は上手かったです。チャーリー・プラマーは「普通の青年」も演じられる俳優ですが、本作では主人公ではなく、あえて”面倒くさい人物”に回されたことで、存在感が際立っていたように思います。
5、ラストで主人公が入れ替わった?
終盤、レイと仲良しのピーター2人が残った時点で、これはもうお互いに「“お前が生きろ……”になるんだろうな」と。
この手の自己犠牲展開は、それこそ同監督の『ハンガー・ゲーム』などを思い出す方も多いかもしれません。もちろん、『ロングウォーク』の原作の方が古いので、そこを責めるのは少し違うのかもしれませんが。
でも、2026年に映画として観る側は、すでに似たような構図を何度も見てきてしまっているので、最後くらいは何か別の見せ方が欲しかった。
ルールをひっくり返すとか、国家への怒りが爆発するとか、勝者の意味が変わるとか。
ずっと不快で理不尽なものを見せられてきたからこそ、最後に欲しかったのは単なる涙ではなく、この「地獄を見せられた意味」でした。
それでも、最後に少しだけ意外性はあった
ただ、唯一意表を突かれたのは、最終的に物語を動かすのが主人公レイではなく、友人のピーターだったこと。
レイは、父親を大佐に殺されたことから大佐への復讐を目的に参加していましたが、その目的はレイ本人でなく、生き残ったピーターによって果たされます。
ここだけを見ると、途中まで主人公だと思っていたレイから、ラストでピーターへと“主人公”が入れ替わったようにも見えます。
序盤からレイに主人公らしい魅力を感じにくかったのも、もしかするとこの構造のためだったの?とも。
ただし、そこまで計算された仕掛けとして受け取るには、レイの復讐目的もピーターとの関係性もやや説明不足で、ラストで急に意味を足されたような印象も残りました。
ーーまぁ、ここまでかなり文句を言ってきましたが(笑)、決してつまらない作品だったというわけではありません。
設定の強さは申し分なく、最後まで「どう終わるのか」は気になりましたし、”主人公の入れ替わり”も、唯一想像と違った部分ではありました。
悪くはなかったけれど、想像は超えてこなかった少し残念な作品でした…。



