
「倦怠期のカップルが物理的にくっ付いてしまう」──この時点で嫌な予感しかしませんが、本作の意外性はそこから…。気持ち悪さ全振りかと思いきや、なぜそうなったのかという“謎”がきちんと解け、2人の関係性がドラマとしてもしっかり転がっていく。笑っていいのか震えるべきか分からないまま、”愛と身体の最悪な完成形”を見せつけられる前代未聞のボディホラーです。笑
作品データ
【製作年度】2025年
【製作国】アメリカ/オーストラリア
【上映時間】101分
【監督】マイケル・シャンクス
【キャスト】デイヴ・フランコ
アリソン・ブリー ほか
あらすじ
都会を離れ田舎へ移り住んだティムとミリーは、森で迷い込んだ地下洞窟で一夜を過ごしたことを境に、不可解な異変に襲われる。ティムの身体に起こった異常はやがてミリーにも広がり、ふたりは見えない力に引き寄せられるように互いを求め合っていく。その現象は、穏やかだった日常と関係性を静かに侵蝕していく――。
年齢制限は?
PG12指定なので、12歳以下の方は保護者同伴が望ましいとされます。
どこで見れる?
2月6日(金)より劇場公開中
(※鑑賞時にご確認ください)
レビュー( 2026.2.6 )
1、想像をはるかに上回るボディホラー
関係性が肉体を侵食する
昨年は、ド級ボディホラー『サブスタンス』が映画好きを湧かせましたが、今年はコレで決まりでしょう。むしろ個人的には『サブスタンス』よりも好みだったかもしれません。
私は、あえてあまり情報を入れずに「倦怠期のカップルが”物理的に”くっ付いてしまう」ことしか知らずに鑑賞したのですが……。
監督やキャストから、小規模で地味そうなのかなと油断して入ると、想像の3段階くらい上から殴られます。
・設定はミニマム
・登場人物ほぼ2人
・なのに、精神・肉体・関係性の侵食がエグい速度で進む
この圧縮感が異常なんです。
1人の人間の身体が変化(へんげ)するボディホラーというのはよくありますが、2人の人間が統合し、“関係性が肉体を侵食するボディホラー”なんて見たことないですw
『サブスタンス』より刺さった理由
『サブスタンス』は、あまりに突き抜けすぎていて、正直どこか笑えてしまう“見せる怪作”でした。
それに対して『トゥギャザー』は、視覚的にも未体験の生理的嫌悪が積み重なっていき、「自分の身に起きたら本気で!無理……」となります。ある意味、カップルの『ムカデ人間』みたいな?
しかもこれまた、主人公は倦怠期のカップルというー。
そんな2人が愛を取り戻すどころか、「自身の意思に反して物理的にくっ付いてしまう」という災難に見舞われる。
ようやく愛を確認したと思ったら、今度は「一緒にいることによって壊れていく」フェーズへと突入し、関係性は別の地獄へと反転していく…。
皮肉が何重にも折り重なり、観ている側の情緒はまったく落ち着かない。
この性格の悪さが、めちゃくちゃ最高でした (・ω・)
2、なぜ2人が”くっ付いた”のか
「謎は謎のまま」にしない意外性
最近のこのテのホラーって、「理由はよく分からないけど、なんかヤバいことが起きます」「説明しないのが”アート”です」みたいな作品も正直多いですよね。
なので本作も、「倦怠期のカップルが身体的にくっ付いてしまう」というインパクト重視のネタを投げて終わりなのかな、と思ってました。
……が、意外にも本作はそこを放置しません。
一体なぜ、そんな異常事態が起きてしまったのか。
その“原因”がきちんと明かされ、さらにそこから物語が転がっていく構成になっているのが、個人的にはかなり好印象でした。
すべての始まりは、”洞窟”にあった
ティムとミリーが迷い込んだ洞窟は、かつて「2人を1つにする」ことを目的とした新興宗教(カルト)の教会があった場所なのです。
ロマンチックな自然スポットなどではなく、いわば関係性を完成させるためのヤバい洗礼所だったという。
しかも、その儀式は”成功例”も”失敗例”も残したまま、土地そのものに根を張っている。つまり、理屈が分かったところで「じゃあ解決ですね」とはならない。
むしろ、原因を探るほど2人の距離は縮まり、しかし縮まるほど物理的にも精神的にも逃げ場はなくなっていく。
3、異変は身体から関係性へ
ティムから始まる身体の暴走と支配
洞窟内の水を口にしたティムから、身体の異常が始まっていきます。
意識が飛ぶ。身体が言うことをきかない。衝動を抑えられない。
どれも一発で「呪いだ」と断定できるような派手さはなく、どちらかというと体調不良やストレスとも取れてしまうような微妙なライン…。
ただ、その“違和感”は確実に日常を侵食していき、やがてティム自身の意思とは無関係に、身体がミリーを求め始めます。
本人は戸惑っているのに、身体だけが先走る。この時点で、もう関係性の主導権は本人たちの手を離れつつあります。
「引き寄せられる愛」がもたらす恐怖
さらに厄介なのは、その異変が一方通行では終わらないこと。時間差で、ミリーの身体にも同じ症状が現れ始め、2人は次第に、意思とは無関係に引き寄せられる存在になっていきます。
またこの作品、ただ生理的に気持ち悪いだけでなく、普通に怖い描写も多いです。
特に、長い髪+白いパジャマを着たミリーが、浮いた状態で磨りガラス越しにバンバン打ち付けられる破壊力にはのけぞりました…。
さらに、まるで“人間磁石”とでも言わんばかりに、大の大人がとんでもない磁力によって地面を引きずられていく。2人して必死に何かに掴まり、抵抗するものの、身体は何がなんでもくっ付こうとする。
その結果、ブリッジのような体勢になったり、どう見ても無理のあるアクロバティックな動きになったりと、笑えてしまうほど異様なのに、ちゃんと怖いという矛盾した光景が連続します。
あと印象的だったシーンに、外出して運転していたミリーと、家でシャワーを浴びていたティムの同調行動があります。
ミリーがハンドルを切るたび、離れた場所にいるティムの身体が同じ方向に強く打ち付けられることで、すでに2人が1つのシステムとして同期し始めていることを示す、相当イヤな前兆でした…。
4、ジェイミーという“成功例”
すでに融合していた存在が語る言葉の意味
物語の途中で登場するミリーの職場仲間、ジェイミー。
彼はどこか悟ったような口調で、ミリーに対して「ティムとなら”うまくいく”と思う」と語りかけます。
一見すると、よくある良き理解者ポジションですが、物語が進むにつれ、その言葉の意味はガラリと変わって見えてきます。
ジェイミー自身が、かつて洞窟の儀式によってパートナーとの融合を“完了させた側の存在”だった。
彼にとっての「うまくいく」とは、融合を受け入れて抵抗せず“完成”させることだったのです。
「分かりやすい悪」が存在しない気味悪さ
この映画がイヤらしいのは、カルトを、たとえばこれまでの村ホラーにありがちな「分かりやすい悪」として描いていないところ。ジェイミーを含め、明確な悪者がいるわけでもない。
カルトはすでに崩壊しているーーしかし、思想だけが人と土地に染みついて事故のように再発する。
村全体がグルではないからこそ、「逃げれば助かったのでは?」「誰かが止められたのでは?」という希望が一瞬よぎる…
けれど実際は、その場所に触れた時点で詰みという。
この「村は普通、でも土地だけが狂っている」という構造に、妙なリアリティを感じて余計に怖いのです。
5、ラストはハッピーエンドなのか
50:50ではない“完成形”という答え
物語のラスト、ティムとミリーが最後にとった選択と、”その結果の姿”には、正直「…そっち!?」という驚きが。
てっきり『サブスタンス』のように、ボディホラーの最終形として“モンスター的ビジュアル”に行き着くのかと思いきや、まさかの融合成功によって、ほぼ「普通の人間」に見える姿になるとは。
ここが本作の意地の悪さであり、同時に上手さでもあります。
完全に歪んだ怪物ではない。
かといって、元の2人に戻れたわけでもない…。
どちらかが消えたわけでもなく、きっちり50:50でもない。
あのビジュアルは、2人が拒絶も逃避もせず、「一緒にいること」を選び続けた末の“到達点”なんですよね。
融合に失敗し、まさにモンスターのような”失敗例”として提示されてきた行方不明のカップルとは異なり、彼らの姿が比較的安定して見えるのは、この関係性が「事故」ではなく「選択」によって完成しているからだと思います。
…しかし、2人の最後の融合シーンは、互いの身体が互いの身体にめり込み、本当に“溶け合う”としか言いようのない前代未聞の映像体験で、あまりの気持ち悪さに「無理無理!」と思いながらもなぜか目だけはまったく離せないという…脳と感情が完全にバグる瞬間でした(・ω・)
なぜこれをカタルシスと呼べてしまうのか
冷静に考えれば、これは決してハッピーエンドではありません。アンハッピーとハッピーが“溶け合って完成してしまった形”、なんですよね。
普通なら、融合することを
- どちらかが拒絶する
- どちらかが犠牲になる
- もしくは分離して終わる
といった選択肢しかないはずなのに、この映画は最終的に「逃げない」「壊れない」「でも健全でもない」という、もっともスッキリしない完成形を選ぶ…。
なのであのラスト、こちらの感情としては「 え…そんな……でも、本人たちは“満たされてる”…?」という、感情の居場所が見つからないカタルシスになっているんですよね…。
ここは「愛とは何か」を問うというよりも、「愛を“完成”させようとした人間の末路」をめちゃくちゃ静かに肯定しているところが、1番怖いと思ってます。
実生活でもパートナーの2人!
10年以上の関係性だからこそ描けた
主演のデイヴ・フランコとアリソン・ブリーは、なんと実生活でも夫婦。(映画を見る直前に知ったので、そのつもりで見ましたw)
2017年に結婚した2人ですが、出会いは2011年、共通の友人を介したプライベートな場で、意外にも映画共演とは無関係だったそう。
そこから10年以上にわたって関係を築いてきた、いわば“老舗カップル”だったんですね!
だからこそ本作で描かれる、あの距離感ゼロどころか距離が存在しない関係性が、実現できたのかと…w
しかし、デイヴ・フランコというとどうしても「ジェームズ・フランコの弟」という肩書きが抜けないわけですが…本作ではデイヴもアリソンもまさに身体を張った素晴らしい演技でした…(;ω;)
2人はプロデューサーとしても作品に関与
しかも本作では、2人は主演にとどまらずプロデューサーとしても作品に関与しており、設定や描写の“攻め具合”にも納得がいきます。
普通の俳優同士なら避けてしまいそうな密着描写や身体表現も、夫婦だからこそ「これはやるべき」と判断できた部分も大きかったはず。
この作品の気持ち悪さや説得力は(笑)フィクションの設定だけでなく、10年以上積み重ねてきた“現実の関係性”が下地にあるからこそ成立したんですね!


