
「ああ、あの船の話でしょ?」そう思ったあなた。たぶん、まだ知らないことだらけです。ダイヤモンド・プリンセス号の新型コロナ集団感染――。映画『フロントライン』は、コロナ対応の前例がない中で闘った”初めての人たち”。現場で命と向き合い、決断し、そして葛藤した人たちの“想像以上”の物語が、そこにはありました。ずっと静かで、ずっと壮絶で、そして…驚くほど泣けます。
作品データ
【製作年度】2025年
【製作国】日本
【上映時間】129分
【監督】関根光才
【キャスト】小栗旬、松坂桃李
池松壮亮、窪塚洋介 ほか
【鑑賞方法】
6月13日(金)より全国公開中
あらすじ
日本で初めて新型コロナウイルスの集団感染が発生した豪華客船「ダイヤモンド・プリンセス」での実話を基に、未知のウイルスに最前線で立ち向かった医師や看護師たちの闘いをオリジナル脚本で描いたドラマ。(映画.comより)
年齢制限は?
年齢制限はないので、どなたもご覧になれます。
レビュー ( 2025・06・19 )
1、想像以上に泣けた、実話の物語
ダイヤモンド・プリンセス号の“中”で起きていたこと

本作『フロントライン』は、2020年2月に日本中がざわついた“ダイヤモンド・プリンセス号”の集団感染事件をもとにした実録映画。ちなみに、フロントラインとは「最前線」の意。
当時、船内で新型コロナウイルスの感染が広がっていたことは、今では誰もが知る出来事ですが――。本作が描くのは、その船を「外から」ではなく「中に入り込んで」命を守ろうとした人たちの物語。
しかもこの物語が描いているのは、まだ日本に“コロナ対応”という前例すらなかった頃。誰も正解を知らない中で、命を守るために決断し続けた人たちのリアルです。
わからないことだらけの状況で、それでも「やれることをやる」と立ち向かった姿に、ただただ胸が熱くなり…。これが思っていたより、ずっと…泣けました(!!!)
その乗客、約3700人…しかも、56カ国という多国籍に渡ることを初めて知りました…(!)劇中では、乗客と言葉が通じずクルーが四苦八苦するシーンもあるのですが、おそらく実際には想像をはるかに超える混乱があったものと思われます。
「感動の押し売り」にならない誠実な語り口
いわゆる有名キャスト人によるエンタメ映画にありがちな「感動のゴリ押し」にされてたらどうしよう?という不安もちょっとあったんですよね…。
けれど『フロントライン』は、そのあたりの“いかにもな演出”を見事に回避。派手さで引っ張るわけでも、誰かひとりのヒーロー譚にするわけでもない。
むしろ「目の前の人を守ること」だけに向き合った人たちのリアルが、ひたすら淡々と、でも濃密に、胸を打ってくる。
結末を知っていても、こみ上げるものがある
この物語、結末は私たちみんな知っているはずなのに、それでも何度もこみ上げてしまう。
改めて、「あのとき現場で、こんなにも闘っていた人たちがいたんだ…」と思い知らされる。
その誠実な語り口に、まず静かにやられてしまいます。
2、群像劇の“奇跡的バランス”が凄い
これだけの人数を、よくぞここまで…

すべてのエピソードに絡んでくる人物、ざっと20人超。
正直、登場人物の数だけ聞くと「混乱しそう…」と思うじゃないですか。
でも『フロントライン』は、その心配がまるでいりません。
それぞれが置かれた立場も、役割も、感情もバラバラなのに、全員の行動にちゃんと納得できるように描かれていて、脚本の整理力に本気で驚きました。
むしろ「よくこの人数全員に、ちゃんと泣けるエピソードを詰め込んだな…!?」という感心も。
“エモさ”より“現実”を優先
群像劇って、どうしても“語られなかった側”が出てきたり、「この人のエピソードは要らなかったんじゃ…?」と思わせてしまいがち。でも本作には、それがほとんどないんです。
また、登場人物同士の関係性もあえて“ドラマチック”に描きすぎない。それでも、言葉や仕草の節々にドラマが宿っていて、妙にリアル。説明が少ないのに、なぜかグッとくる。
作為的な“繋がり”を作らなくても、ただ誠実にその現場を追っていくだけで、観客はちゃんと感情を揺さぶられる。
そのバランス感覚こそ、本作が“奇跡の群像劇”と呼びたくなる理由です。
誰が主役でもおかしくない、という美しさ
主要キャラクターは、いるにはいる…。でも「全員が主役」という感覚も。
医療の最前線に立つDMAT隊員たちだけじゃなく、対応に追われる政府関係者、情報が錯綜する船内スタッフ、不安の渦中にいる乗客、そしてそれを取り巻く市民たち…。
それぞれの立場に、それぞれの正義と迷いがあって、その“ズレ”までもがリアル。
だからこそ、観ている側も「誰が悪い」とは言い切れず、気がつけばいろんなキャラに感情を持っていかれてしまう。大袈裟でなく、10人以上に泣かされました…(;ω;)
3、陰の主役”仙道”の名セリフ
表に出ない“指揮官”と、現場に立つ“もうひとりの主役”

表向きの指揮を取っていたのは、小栗旬演じるDMATの結城。彼は現場にはほぼ出ず、船の外で各所との連携や判断を下す立場にある。いわば全体の司令塔。
…なのですが、実は現場で患者の搬送や処置を直接取り仕切っていたのは、仙道(窪塚洋介)という、いわば“陰の現場指揮官”。この仙道という人物が、実はめちゃくちゃカッコいい…。
こう言っちゃなんですが、久しぶりにカッコいい窪塚洋介を見たなぁと。ドライな荒んだ感も相まってこの役にはピッタリでした(しかし、えらく痩せました…?)
現場で、命の優先順位を判断し、結城の指示を咀嚼しながらも、ときにその判断に疑問を持ち、ときに“喧嘩”するようにぶつかる。
普段は淡々としているように見える仙道ですが、彼の立ち回りには葛藤や責任の重みがにじみ出ていて、地味だけれど本作の心臓部と言っていい存在感でした。
「やれることを、やる…でしょ!」の重み
なかでも印象的なのは、仙道が結城に訴えかけるあのひと言。
「やれることは全部やる…でしょ、DMATは…!」
これはただの「頑張ろう」でも「やるしかない」でもなく、“誰かのためにできることを全力でやりきる”という、医療現場の信念そのもの。
しかもこの言葉は、仙道だけでなく、結城や他の登場人物の行動にも通ずるものがあり、本作の静かなテーマとなっています。
泣かせに走らず、ただ単に感情をぶつけてくるわけでもない…それが、観客の胸を打つ。このセリフひとつで、その誠実な演出スタイルが象徴されていたように思います。
言葉ではなく“信頼”で成り立つ関係性
また、仙道と結城の間に明言された友情や感情はない。
けれど、互いのやり方を理解し、必要なときに支え合う“現場の信頼関係”がじんわりと伝わってきます。
たとえば、仙道があえて結城に厳しい言葉を投げかける場面では、それが叱責ではなく“覚悟を共有する合図”として機能していたり。
派手なドラマではないけれど、だからこそ「こういう関係性、いいな」と感じさせてくれる。そしてそれこそが、『フロントライン』が“ありがちな邦画”とは一線を画している理由のひとつでもあると言えます。
出演者のインタビューでは『…(最初は)乗客を下ろしてんじゃねーよ、って思いましたよね?皆さん』という”窪塚節”炸裂で、横にいた小栗旬も失笑。もちろんこの後に『そんな自分を恥じた』と言っていますが、まさに”らしい”一言で笑いました(・ω・)
記事の最後にまとめてあります
4、差別と向き合った医療従事者たち
家族を守りたい。でも、現場を捨てられない

真田(池松壮亮)は、妻と子供がいる医師。当然ながら感染リスクのある船内へ向かうことに迷いがある。
でもそれでも、現場に行く決断をする。医師としての使命感と、個人としての怖さの間で揺れながら…。
そして、その選択は彼一人の問題では終わりません。
彼の“部下”の家庭――保育園に通う子供が、預け入れを拒否されていた…。
つまり、感染者と関わった医療従事者は、本人だけでなく、家族も社会から弾かれてしまう。「ありがとう」と言われるべき人たちが、逆に差別されていたという現実が、淡々と語られる。
大げさな音楽も、涙を誘うような演出もない。ただ、ポツリと語られる事実。それだけで十分すぎるほど、胸が痛くなります。
「医者である前に、人間である」ことのしんどさ
温厚な真田は、決して声を荒げるような人物ではありません。
誰よりも丁寧に、誠実に患者と向き合い、苦しい現場にも淡々と立ち続ける――そんな“聖人”のような空気すらまとったキャラクター。
だからこそ、彼が唯一、結城に訴える場面は余計に胸を打つ。
「自分の家族は、誰が守ってくれるんですか―」
この言葉に、怒りや責任転嫁の色はありません。ただただ、正直な不安の吐露として放たれたその一言に、観ているこちらもハッとさせられます。
医師として患者を救う覚悟と、父親として家族を守りたい思い――。
その狭間で揺れる気持ちを、声を荒げるでもなく、静かに、それでも真っ直ぐに伝える姿に、真田という人物の深みがにじんでいました。
本作が優れているのは、こうしたキャラクターの“揺らぎ”を声高に描かないところ。だからこそ、一言のセリフにすべてが詰まっていて、ずっと心に残ります。
真田役は、満場一致で池松壮亮しかいないです。一見、頼りなさそうに見えながらも、内にしっかりと秘めたものがある、安定した誠実さ。
それでも立ち続ける人たちへ、静かな敬意を
「差別されたのに、それでも仕事をやめなかった」
「自分の家族を守れないかもしれないのに、患者を助け続けた」
そんな人たちの姿を、美談としてではなく、“生き様”として描いてくれる映画って、実はあまりありません。
派手な演出はなくても、観終わった後、「あの人たちは今、どうしてるだろう」と思い出す…。それだけでもう、この作品は記録を超えて、記憶に残る一本だと思います。
5、医師・官僚・記者…変化した人々
マスコミの“目”が、“心”になるまで

最初に登場した上野(桜井ユキ)は、”いかにも”な記者キャラ。
ダイヤモンドプリンセス号での現状に対し「面白くなってきましたね…」と上司と笑みさえ浮かべ、取材してまわる姿には、見ているこちらも怒りさえ覚えます…。
けれど物語が進むにつれ、彼女の表情は少しずつ変わっていく。
目の前で命と向き合う人々を見て、ふと立ち止まり、彼女なりに“何かがおかしい”と気づき始める。
そしてある日、彼はDMAT指揮官の結城にこう問いかける。
「これはマスコミとしてじゃなく、個人的に聞いています。また同じことが起きたとしても、同じ対応をしますか?」
結城は言う。
「やれることを、やるだけです…。―これで、いいですか。」
このやりとりのあと、上野は「十分すぎます」と。――以前の笑みとは違う、心が変わった人の目をしていました。
あの瞬間、彼女は「マスコミ」から「ひとりの人間」に戻ったのだと。
未だに『真犯人フラグ』の強烈な印象が強い桜井ユキ(笑)。私はここまでしっかりメイクをした役を見たのは初めてだったのですが、記者役ながら「こんなにキレイだったんだ…」と。
クールな役人が、人間に戻る瞬間

厚労省の立松(松坂桃李)もまた、最初は典型的な“ザ・官僚”。
冷静に状況を処理しようとし、口を開けば「くれぐれも国内に(ウイルスを)持ち込まないでくださいね」。どこか現場を“管理対象”としてしか見ていないような空気がありました。
しかし彼も、結城のやり方に触れていく中で、徐々に変わっていきます。
怒鳴り合うような場面はない。ドラマチックな転機があるわけでもない。でも、ふとした言葉の節々に、人間らしさが戻ってくる…。
結城のやり方に口を挟まずに見守ったりという、小さな変化の積み重ねが見て取れました。
冒頭こそ、なんか無理やり”悪い官僚演じてるな感”があったものの、徐々に彼の変化が見えてくると「あ、だから”松坂桃李”だったのか…」という納得。
言葉よりも、笑いがすべてを伝えた

もう一人、忘れられない人物が、新設の病院で、乗客の受け入れに手を挙げた宮田医師(滝藤賢一)。
最初は「話が違う」「なぜ重症者まで運ばれてくるんだ」と不満を口にし、真田に怒りをぶつける。
しかし、真田が9日間も船内で患者に向き合ってきたと知ると、どこか肩の力が抜ける。
その後、二人で缶コーヒーを飲みながら思い切り笑い合うシーン――。
セリフなんて、ほとんどいらない。ただ、あの笑いがすべてだった。
こういう“感情の変化”を、説明ではなく空気で見せてくるのが本作の上手さであり、誠実さだと思います。
滝藤賢一は、終盤のわずかなシーンの出演でもしっかりと存在感を発揮…ずるいです笑。さすがに普段のくるくるパーマはまずいから、散髪した…(・ω・)?
6、今見るべき”ダイヤモンドプリンセス号”の真実
想像をはるかに超えていた
『フロントライン』を観終わったあと、まず浮かんだのは…。
「…私たちの想像なんて、あまりにも甘かった」
2020年、私たちはテレビ越しにダイヤモンド・プリンセス号を眺めていただけでした。
しかし実際には、その“中”で、“外”で、どれだけの人が、どれだけの判断を迫られていたのか。その裏で、“やれることをやる”と決めた人たちが、命の現場に立ち続けていた。
この作品は、そうした人々の“過去”をただ振り返るための映画ではなく、“今の私たち”が、あの時をどう受け止めるか――そのための問いかけなのだとも思います。
派手なヒーローはいない。でも全員がヒーローだった
誰かひとりの感動エピソードを追いかけるのではなく、誰もが迷い、悩み、でも最後には“自分のやれること”を選んだ物語。
- 差別に耐えながらも仕事を続けた医療従事者たち
- 調整役に徹しながらも苦渋の決断をした指揮官
- 心を入れ替えた記者や役人
…誰も完璧じゃない。でも、誰も投げ出さなかった。その姿勢に、静かに、でも確かに胸を打たれました。
忘れないために、今、観ておくべき作品
観る前は、もう”終わった話”だと思っていました。
でも、観ているうちに「これはまだ終わっていないんだ」と気づく。
“コロナ禍”という言葉は日常に溶けたけれど、そこで闘った人たちの姿、感じた痛みや誇りは、忘れてはいけない。
『フロントライン』は、私たちにあの時間を“思い出させる”のではなく、“受け止めさせる”映画。
できれば、たくさんの人に届いてほしいし、日本人のみならず世界中の人たちに見て欲しい作品です。
そしてきっと、観たあとには誰かを思い出したり、自分のことを振り返ったりするはず。
これは記録ではなく、きっと誰かの記憶になる一本だと思います。