
公開初日からもはや”祭り”と化している本作は、歴代作品のなかでも特に監督の言いたいテーマをキャラがそのまんまセリフとして代読する細田劇場。キャラクター名はすべて”細田守”で良かったのでは…。さらには、永遠のピュア少年・細田が憧れる理想の女性像がダダ漏れ。確信犯的なスカーレットの入浴シーンには「なにその胸強調カット?誰目線??細田の目線やん…(・ω・)」と。…でも?嫌いになれない…。監督の次回作もたぶん見にいきます。
作品データ
【製作年度】2025年
【製作国】日本
【上映時間】111分
【監督】細田守
【声のキャスト】
芦田愛菜、岡田将生 ほか
あらすじ
父を殺して王位を奪った叔父クローディアスへの復讐に失敗した王女スカーレットは、「死者の国」で目を覚ます。そこは、略奪と暴力がはびこり、力のなき者や傷ついた者は「虚無」となって存在が消えてしまう世界だった。この地にクローディアスもいることを知ったスカーレットは、改めて復讐を胸に誓う。(映画.comより)
年齢制限は?
年齢制限はないので、どなたもご覧になれます。
どこで見れる?
現在、劇場公開中(※鑑賞時にご確認ください)
レビュー( 2025.11.21 )
まさかの低評価にナゾの期待値が…
元々、本作は劇場へ行く予定ではあったのですが──いざ公開されてみると、Filmarksでは「3.0」。え。
一旦見送りを決めたものの、数時間後に数字を確認すると2.8 → 2.7って……なに事!?
「……よし、劇場へ行こう(・ω・)」
ここまでの有名監督でこの点数、ちょっと見たことない…。“祭り”の予感すら着の身着のままマスクを装着し、1時間後には劇場へ到着。
着席すると変なアドレナリンすら出てきて楽しみまであり、これまでにない映画体験?でした。
そもそも私は、細田監督が“永遠の思春期おじさん”であり“恥ずかしさとまぶしさを同時に浴びせてくる人”であることも分かっているので、過度な期待はしていなかったのですが(?)
鑑賞後の率直な心境はというと
「絶望しに行ったら意外と救われ、このまま逃げ切るのか(!?)と思いきや、最後にきっちり細田監督に殴られた」
……そんな感情でした。
1、前半は意外にも「期待以上」
世界観だけ見れば、危うく傑作に!?
父を殺された王女スカーレットが敵討ちに挑むも、返り討ちに遭ってしまいーー目を覚ますと、そこは「死者の国」だった。
しかしここではまだ「仮の死」状態に過ぎず、この世界で“再び死ぬと本当に消える”というデスゲームじみたルール設定が。
しかも、この世界には父を殺した「叔父」もいるという(この時点で、え、そうなの?って感じなんですが、細かいことを気にしているともはや見ていられませんw)
ともあれスカーレットが、叔父が潜むとされる“見果てぬ場所”を目指す、ロードムービー的ダークファンタジー。
普遍的な題材ではある復讐ものですが、広げようと思えばどこまでも広げられますし、いくらでも面白くはなりそうです。
本作も、冒頭の映像や世界観など、序盤だけ見れば期待以上で、ここから2.7まで落ちていくとは正直思えませんでした…(・ω・)
2、なぜ?低評価なワケ全部言います
“言葉が先にあって、物語があとから付いてくる”
ちなみに私は、細田監督作品すべてが苦手なわけでないです。
『時をかける少女』『バケモノの子』そして巷では低評価な『未来のミライ』は好きです。笑
ただ、本作含め細田監督の作品に多いのがこれ。
本来、映画の構成というのは
物語 → キャラの体験 → 感情 → 言葉(結論)となることが多いです。
でも細田監督の場合は逆で
伝えたい結論(理想)
↓
その結論を喋るキャラクター
↓
それに合わせた展開が引っ張られる
なので観客からすると、
「なんで母親はこんなに娘のことを嫌ってるの?」
「空飛ぶ大きなドラゴンの説明は一切ないの…?」
「なんで突然踊り出すの…?」
映画としての感情の段階を踏まないので、ハテナだらけの状態で細田ワールドを引っ張り回されることとなります。
最大の冷めるポイント
- 「復讐しても意味はない」
- 「子供が死なない世界にする」
- 「武器を置いて話し合いましょう」
- 「あなたの分まで生きる!」
これらは作品が伝えたいテーマではなく、劇中で実際にキャラクターたちが口にするセリフそのもの。
いや…
「なんで全部しゃべっちゃうの(・ω・)?」
もし「子供が死なない世界を望む」というテーマがあるなら、その言葉をキャラクターに直球で言わせるのではなく、行動や別の表現で観客に感じさせて欲しいわけですよ…。
映画って、観客が“自分で気づく感動”を味わうものだと思うんです。
監督の想い→物語→観客へと伝わる三段跳びのはずですが。本作はその中間をすっ飛ばし、監督の言いたいことをキャラが代読しているだけ。
なので、どれだけ多彩なキャラクターが出てこようとも、キャラクターの中身は全員「細田守」なんですよ(・ω・)
3、壮大なのに”話”が小さい
むしろ小学生でも理解できる設計
さらに本作は、先述した低評価の理由の他に、ストーリー展開の稚拙さも…。
- 複雑さ:ゼロ
- 伏線:ほぼゼロ
- ひねり:希薄
- オチ:……あった?
とにかく分かりやすいです。
ただ、分かりやすすぎて、大人には物足りない場面が続きます。
世界観に反してストーリーがやけに“小ぢんまり”まとまってしまい、そこからどこへも広がらない。
さらに、印象に残らない2時間。振り返っても突出して語れるシーンがほとんどないのです。
すべてが、どこかで見たような描写とどこかで聞いたようなセリフで構成されています…。
そもそも、なぜこの2人を出会わせた?
初めて本作のジャケットを見たときに、なんだか妙な違和感が…。
「…これ一体、どういう素性の2人なの?」
この地でスカーレットが出会い、行動を共にする人物…それは、現代日本の看護師・聖でした。
16世紀デンマーク王女と、現代日本の看護師男性…。
この取り合わせ自体は面白い余地があるのに、出会いの意味が深掘りされないまま進んでいく。
「異文化・異世界の衝突」がテーマなら、そこにしかない化学反応が欲しかったところ。
4、細田守“永遠の思春期”モンダイ
前述しましたが、細田監督は 究極のピュア少年…そして思春期の少年性が強く残っています。
そこが魅力の源でもあるのですが、問題の源でもある。
前作『竜とそばかすの姫』の主人公もそうでしたが、“ピンク髪 × グラマー”は、監督が抱く理想女性像の最もストレートな投影なのでしょうね。
- 世界の未来は守る
- 優しくて気高い
- そしてグラマー(重要)
スカーレットの確信犯的な水浴びシーンはまさにその象徴。
美しい朝日をバックに、わざわざ巨乳を強調するそのカット割りは童貞のソレすぎて笑いを堪えるのに必死でした。
女性視点で見ると「なにその胸強調カット?誰目線??…細田の目線やん(・ω・)」と。
エンドロールの細田セレクト
まぁ水浴びシーンくらいなら、「可愛いもんだな”守”…」くらいですみましたよ私も。
しかしですね、エンドロールの“細田セレクトええシーンカット集”にちゃっかりとコレが採用されている事実。
ここが本当に罪深い…。
監督の中では(やはり)ベストショットなんだなと悟りました。
これはさすがに私も擁護できないです…できないよ守…(・ω・)
5、ラスト直前まではまだ許容できた
……しかし、ラスト30分で一変
ここまでほぼ、マイナス面と”守イジリ”しかしていませんが?細田監督なのでこの程度は許容範囲内。
物語の4分の3くらいまでは「まぁ…(今回は)3.5くらいはあるな?」と、実はまだ”余裕”でした。
しかし、ここまで積み上がっていた「まぁ、これはこれで…」という理解と忍耐が、ラスト直前で粉砕。
私の許容メーターはみるみる減っていき、一気に赤色へ(・ω・)
「赦し」ですべて回収した気に…!?
本作は、父を殺された王女スカーレットが仇を追う復讐劇のロードムービーだったはず。
しかし――ラストのラストで、叔父が懺悔している場面に出くわし、彼女はこう言います。
「わかりました。あなたを許します…。ただ、私に父を殺したことは過ちだったと認めてください…」
「…………は…………???」
いや、待って。これは…作戦なのか!?頼むから、そうであってくれ…。
「そうして油断したところで剣を抜く」のか………って、作戦じゃないの……………!?
「復讐か赦しか」という問いを掲げながら、一応答えは出したものの…。
やはり監督の「プロセスも感情もすっ飛ばし」が、ここでも露呈。
最大の「説教」が、最速で終わる問題
スカーレットに、突然父の「……ゆるせ!」という声が聞こえたかと思うと、光に包まれた父親が登場。
パチンコ激アツ演出ばりのオーラで(・ω・)
あまりに“神々しい降臨”で、ここは私的にはとても面白かったのでまぁよしです(?)
そこで父はスカーレットにこう告げます。
「復讐をしても、何も良いことはない(ざっくり)」と。
……いや、そんな大命題をまさかの 一言でまとめて終了!?
しかも抱き合い、あっさり納得(?)。
ここまでの葛藤や旅路を踏まえると、
「…処理、早っ!!」
物語のテーマに関わる最重要ポイントなのに、ここでまたしても、肝心の“説得に至るプロセス”が描かれないまま、「これで良いよね(by 守)」と急ピッチで幕が降ろされていくのです…。
死ぬ直前に、そんなやつおらんやろ…
父が殺される直前に発した、聞き取れなかった「遺言」。
これを長らく引っ張ってきたものの、結局は「(敵を)ゆるせ」。
そこには「復讐しても意味がないから許しなさい」というメッセージが込められてはいるのですが…説得力はやはり皆無。
そもそも、これから死ぬという究極の状況で出るセリフが「ゆるせ」????
なんだか回りくどいし?この状況で自分でなくて、敵の心配…!?まったくピンと来ません…
でも監督は、父の善人エピを何がなんでもねじ込みたかったのでしょうね。
アンタ誰?怒りのドラゴン代行サービス発動
そしていよいよ、スカーレットが「殺られる!」という瞬間。
空から現れた巨大なドラゴンが、口から稲妻を放ち、叔父を消滅させます。劇中、数回出てくる巨大ドラゴンですが…
…「結局、アンタだれ?…」
ドラゴンの登場シーンはワクワクしたし、デザインも美しく凝っていただけに「何か大きな展開」が始まるのかと思いきや…潔いほどのスルー。
毎回、スカーレットのピンチ時に出てきたりするので?ええ奴なんでしょうが。
毎回当たり前かのように登場し、サクッと帰っていくその姿に、観客として「…で?」という気持ちを抱かざるをえません。
でも監督は、どうしてもドラゴンを出したかったんでしょうね。
6、話題沸騰のクライマックス
ただ”いい人”なだけの看護師”聖”。
聖は「いい人」という属性だけはハッキリしています。優しくて、平和的で、良心の象徴。
……でも、それ“だけ”。
バックボーンの掘り下げも、彼自身が抱える葛藤も薄いため、恋愛相手というには情報が少なすぎます。
そんな聖が敵の前で叫ぶセリフ。
「みなさん!戦いはやめましょーう!武器を置いて、話し合いましょーう!」
いきなり道徳の教科書めいた説教が始まり、ここでも重要なことをセリフとしてキャラクターに代読させてしまう監督。
突如始まる“誰が死んでいないでSHOW”
終盤には、出自不明のおばばによる“誰が死んでいないでSHOW”。
ここで判明するのが、スカーレットは生者、聖は死者。
そこで飛び出すスカーレットのセリフ。
「私もここに残る!聖といる!」
「なら、聖を助けてあげて!」
……小さい子でも言えるような、とりあえずの正解文。
さらに感情の追い上げ(のつもり)で、何度も繰り返されるコール&レスポンス。
「生きろ…生きろスカーレット!」
「うん、私、生きる」
「もっと強く!」
「うん、生きる!!」
……このシーンまで来ると私も虚無で、あんまもう、感情とかなかったです(・ω・)
最後にキスで締めるのですが、これも監督の意向なので、すみません…(?)
監督はおそらく、根っからのいい人
本作は、壮大な世界観と大きすぎる理想を監督のまっすぐすぎる心が全力で走らせた物語。
正直、説教は直球すぎるし、恋愛は薄味だし、プロセスより“答え”が先に置かれた物語ではあります。
でも――最後に少しだけ”擁護”させてください。
細田監督って、きっとすぐ感動して泣いちゃうタイプの人だと思うんですよね。その“涙もろさ”のまま映画を作るから、時々こちらが置いていかれてしまう。
たぶん、私が手作りしたちょっと謎なプレゼントを渡したとしても、めっちゃ良い笑顔で「ありがとう」とか言ってくれるような、根っからの素直でいい人なんだと思う(これは本心)。
だからこの映画も、悪意なんて一切なくて?ただ真っすぐすぎるだけ。
まっすぐは眩しいし、時々恥ずかしい。…でも、どういうわけか、嫌いにはなれない謎の中毒性…。
次回作ももちろん見ます、細田監督(・ω・)
…あ、言い忘れてましたが、映像はこれまでの監督作の中では最も美しく、一瞬、「…実写!?」くらいのシーンもありました。
さらに、俳優陣多めだった声優ですが。芦田愛菜はエンディングの歌含め、上手くてビックリしました!声優に関しては、皆さん良かったと思います。
…まぁ、だからよけいにもったいなかったわけですが…笑
実はトラウマ怖いエピソードもある、冒険ファンタジー!
まさかのたべっ子どうぶつが映画化!しかも大人向け!?


